「ほめて教える」確かに耳当たりのいい言葉ですが、最近ではいやになるほど耳にします。 そもそも、ほめるとはどういうことなのでしょうか?             簡単に言えば、行ないを優れていると評価して伝えることでしょう。  ここでは、なぜほめるのか、どのようにほめるのか、なぜ褒められると嬉しいのかについて、 きちんと考えてみましょう。  
                   人はなぜ相手をほめるのでしょうか。 ほめる理由は、多くの場合は相手が良いことをしたからであり、それにより自分が嬉しかったり、             利益があったりするからです。そしてその目的は、さらに良いことをするようにと望むものであったり、             他者の同調を期すものであったりもします。 その方法は、人間であれば言葉でほめたり、表彰したり、金品を贈与したりなどが一般的であり、 それらによって褒められた側は、精神的、社会的、あるいは物質的な欲求が充足されます。 
                   私たちが相手をほめるときに、感心してほめる場合と、評価としてほめる場合とがあります。             一般的には、前者は下の者から、後者は上の者から行なわれます。 また前者には内心的、後者には外形的なイメージがあります。             前者には感嘆の声や拍手も含まれますし、後者には表彰なども含み、指導的見地で行なわれたりもします。 ほめるのは一般的には、良いことをした時、素晴らしい時でしょうが、その水準は、相手の能力を認めているか否かによって違ってきます。期待していない相手であれば、失敗しても腹を立てることも少ないのです。 すなわち見方を変えれば、相手の能力を過小評価している人ほど、心からほめることができるのです。  
                   犬をほめるのには、良い行ないをしたことをほめる場合と、行動の過程で、その行動を奨励してほめる場合とがあります。犬を褒める方法には、オヤツなどの物質的報酬を与える方法と、物質的報酬を与えないで、いわゆる褒める方法があります。 この二つの方法は、働きかける本能が違いますので、当然に伸ばす本能も違います。 
                   「ほめて教える」と「餌を使う」事は、断じて同じではないのです。              心理学者マズローの欲求段階説で考えれば、食べ物を使って教えることは、生理的欲求を充たすことであり、 ほめて教えることは、安全の欲求、所属と愛の欲求を充たすことなのです。              力のある者にほめられることは安心感をもたらすことで、安全欲求を充たします。  ほめられることにより有用感を得ることは、集団社会を形成する社会的動物が持つ所属欲求を充たすのです。 
       そしてまた犬には、愛の欲求もあります。             愛されたいというのは子供の本能であり、犬も人間もそうですが、動物の赤ちゃんというのは非常に愛らしい 姿態をしています。なぜなら愛らしくなければ生きていけない、つまり、愛され保護されなければ、自分だけで生きていく力がないからなのです。 ほめることは、相手に愛されているという自覚を与え、精神的安定を与えるのです。  
       しかしそれは、相手との関係性にも大きく左右されます。             好きな相手か嫌いな相手かによって、頼りになる相手か頼りにならない相手かによっても、             大いに賞としての効果が違ってきます。あなたにしても、好きな人に撫でられれば嬉しくても、             嫌いな人に撫でられるのは嫌でしょうし、恐怖や不安の時に、何の力もない人に「大丈夫だよ」と言われても、慰めにはなっても、安心することはできないでしょう。 
       そもそも、ほめられることが有効なのは、他者の感情を認知し共有することができる動物だけなのです。             行動研究によく用いられるハトやネズミに対し、言葉でほめたり撫でてやっても効果は期待できないでしょう。             犬は相手の心の存在を理解する高い知能と、豊かな感情、そして人間との長い共生の歴史を持ちます。 せっかくのこの素晴らしい能力を活かさないことは、犬に対する侮蔑だと思うのは私だけでしょうか。 
       
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