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      褒めて教えると言いつつ、オヤツを与えるトレーナーが大勢います。 たしかに褒美を与えることも、数有るほめる方法のうちの一つではあります。 なぜなら愛撫や言葉が有益であるためには、犬に好かれ認められるという能力が求められるからです。             家庭犬、伴侶、家族と称しながら、オヤツでの絆というのではあまりに現代的で寂しい思いがあります。 
       
        
                   「犬との信頼関係」「ほめて教える」「犬の個性に応じた」などといった理想的な教育方針を唱えながら、 おもむろにポシェットからオヤツを取り出すトレーナーを見ると、とても情けない気持ちになります。 
       ほめて教えるのではないのですか?だったら、ほめてあげればいいですよね。  トレーナーは取り出したオヤツを、まずは犬の顔の前に差しのべます。               犬が匂いを嗅ぐやいなや、そのままオヤツを自分の顔の方にもってきます。  ここでトレーナーが言います、「アイコンタクト、これがしつけの基本です」  
                     犬は、「あなた」を見ているのではなく、「あなたの方」を見ているのです。 どんなに詭弁を弄しても、犬は、あなたの指先のオヤツを見ているのです。               悪徳商法の消火器の訪問販売員ですら、嘘にならないように配慮して「消防署からきました」とは言わずに、               「消防署の方からきました」と言うというのに。  
                     人間も犬も同じですが、相手を認めれば、やがて相手をきちんと見るようになります。 これがアイコンタクトなのです。アイコンタクトというのは信頼関係の結果として表れるものなのです。 その本質を理解せず、結果として表れる「形」だけをまねて作り上げることに何の意味があるのでしょうか。 
       トレーナーの指導は続きます。               今度は、床に片膝を立てて座り、オヤツを持った手で誘って犬に膝の下をくぐらせて、               犬が腹ばいになったところでオヤツを与えます。 トレーナーが得意気に言うには、「強制するのではなく、動物愛護の精神に基づき、犬が喜んで自ら               その姿勢をとるように教える、動物行動心理学に則った科学的トレーニング法」なのだそうです。  
                   伏せを教える目的が、「フセという号令で犬に伏せの姿勢をとらせること」だけなのであれば、 どのような教え方でもかまいません。 たしかに競技会や訓練試験のための訓練ならば、伏せの姿勢をとらせる事が目的かもしれません。 しかし家庭犬としてのしつけにおいては服従心を養うことが目的であり、 その手段として伏せを教えるのですから、目的と手段をはき違えていると言わざるをえません。  
       たしかにオヤツを使って教えれば、誰もが簡単に「形」を造ることができます。 ところが、最初の段階でオヤツを使って外面的な「行動」を教えてしまうと、               「人と犬との関係」という内面的なものを築くことは困難になります。                「お母さんちょっと具合が悪いから買い物に行ってきてくれる」と頼んだときに、               「うん、いいよ。いくらくれるの?」と言う子供を育てたいならば、どうぞオヤツを使って教えてください。               「うん、いいよ。お母さんは休んでて。」と言う子供を育てたいならば、オヤツを使うべきではありません。  
                     手の平に包まれたオヤツを求めて、まるで操り人形のように、人間の手の動きに合わせて動き回る犬の姿は、 さながら「猿廻し」ならぬ、「犬廻し」です。               個人的な感想ですが、叱られるのを恐れて、おどおどと人間に従う犬を見ると、非常に可哀想に感じます。               同様に、オヤツに釣られて人の手の動きに合わせて動き回る犬を見ると、哀れで卑しく思えてしまいます。                私は、操り人形のように動く犬や、あるいは、表面的ないい子を演じる犬を育てることに興味はありません。 |