  
       
      一般に罰とは制裁を言い、その対義語が賞ですが、 
      行動分析学の専門用語の場合、罰とは、行動が減少する手続きを言い、その対義語は強化という語です。 
      行動分析学では行動が増えることを「強化」と言い、行動が減ることを一般であれば「弱化」と使うところを、 
      なぜか「罰」というのです。 誰がこのような日本語訳をして広めたのかは知りませんが、 
      このことが、一般的な罰の弊害に加えて、罰は無意味で効果の無いもの、と誤解される一因ともなっています。 
      犬の訓練を学ぶ際は、一般的な用語と行動心理学の用語のどちらも使うため、多くの誤解や曲解を招いています。  
      「賞」と「罰」、この相反する二つは、犬の訓練をする上で大変重要です。 
      賞とは、犬にとって快いもの全て。 [行動分析学では正の強化刺激あるいは強化子または好子と言う]  
      罰とは、犬にとって不快なもの全て。 [行動分析学では負の強化刺激あるいは罰子または嫌子と言う]  
      ここではわかりやすく、一般に使われる意味合いでの言葉として述べていきます。 
       
        
       
      犬に何かを教えるために、人が意図的に与えるご褒美や、いわゆる罰はもちろんですが、 
      犬が自らの行動に対し、環境から受けるものもあります。  
      環境と言われても漠然として何を意味するのか分かりにくいのですが、 
      環境とは、自分の周辺に存在する生物、物質、事象などの全てです。 
      食べてみたら苦かった、台に乗ったら台が倒れて痛かった、草薮に鼻を突っ込んだら蜂に刺されたなど、 
      身に降りかかる嫌なことのうち、教え手が行なったこと以外のすべてが、環境により受ける罰です。   
      賞では、飼い主を引っ張ったら、遊び場に行けたなどのように、遊び場に行くこともご褒美になります。 
       
       
        
      [意図的な賞罰]と[無意識な賞罰] 
       
      教え手から与えられる賞罰には、しつけや訓練、および行動矯正などで意図的に与える賞罰と、 
      当たり前に、なにげなくしている全ての日常行動を通して、無意識に与えてしまっている賞罰とがあります。  
      よくあるのが、「吠えたら飼い主が来てくれた。」「跳びついたら飼い主がかまってくれた。」などです。 
       
      直接指導で、行動の結果として教え手が賞罰を与える際に忘れてはならないことは、 
      犬は、その行動について、別途、環境から賞罰を受けているということです。 
      すなわち、その行動をこれまで増加させてきた「好いこと」や「嫌なこと」は依然として存在しているのです。 
      これをそのままにした状態では、賞罰の効果は、そのぶん減少するのです。 
       
      [一次性の賞罰]と[二次性の賞罰] 
      賞罰には、オヤツや暴力などといった、相手の生存本能に直接に働きかける一次性の賞罰と、  
      褒めるや叱るといった、相手との関係によって成り立つ二次性の賞罰とがあります。  
       
      一次性の賞罰は、誰が行なっても、誰に行なっても、大きな効果と弊害があります。 
      二次性の賞罰は、それ以前に相手との関係作りが必要で、効果や弊害は相手との関係性により左右されます。  
       
      一次性の賞罰も二次性の賞罰も、どちらも弊害や副作用がありますが、その質や程度は大きく異なります。  
      犬と生活を共にすることなくトレーニング方法だけを教わってきた人は、犬との関係作りを学んでいません。 
      ですから関係性に基づく二次性の賞罰を教わっていませんので、当然に教えられてきた罰の弊害というのは、 
      一次性の罰の弊害のことです。そのために罰は悪いものという認識が植え付けられてしまっているのです。  
       
      一般的に賞の場合には、オヤツは一次性で、褒めは二次性といった具合に、やや区別がしやすいといえます。  
      しかし罰の場合には、暴力は一次性で体罰は二次性の罰なのですが、例えば叩くなど、どちらも行為自体は、 
      同じであるために混同されてしまいがちです。 
       
      [物質的な賞罰]と[精神的な賞罰] 
       
      犬の訓練で人が与える賞は、精神的な賞と、物質的な賞とに大きく分けられます。 
      精神的な賞とは、言葉や愛撫によって、ほめるという方法でしょう。  
      物質的な賞には、トリーツ(おやつ)や、ボールや玩具を使う方法があります。 
      物質的な賞の代表例であるオヤツは、犬の生存本能に直接作用する一次的報酬であり、 
      賞として機能しやすくその効果も絶大です。 
      それに対し、褒めるなどの二次的報酬は、その効果そのものが相手との関係性に左右されます。  
       
      同様に罰は、精神的な罰と、身体的な罰とに大きく分けられます。  
      痛い、怖い、苦しいはもちろん、束縛や疎外といった事も含まれます。  
      行動分析学の研究においては、強さや量が数値化しやすいために電気ショックが主に使用されています。 
      賞と同様に、生存本能に直接作用する一次的罰と二次的な罰とに分けることができます。  
      また一般的には、「罰」=「叱る」=「体罰」と思われてしまっています。 
      特に、「罰を与える事」=「叱る事」考えられてしまいますと、様々な誤解を受けます。  
      なぜなら、先ほど述べたように罰には環境により与えられる罰もあるからです。  
      身体的罰には、大きく分けて打撃系と拘束系とがあります。 
       
          
       
      他者が与える賞罰や環境が与える賞罰の他にも、行動自体に内在する賞罰があることを忘れてはなりません。  
      罰に効果がないことの事例として、「いくら罰則を定めても、スピード違反をする人はなくならない」 
      と言う人がいます。これは、スピードを出すという行動自体に内在する「スピード感という快感」、 
      および行動自体に付随する「早くに到着するという利益」といった賞によって強化されているからなのであって、 
      罰の効果の有無の論議としては、まったく的外れなものです。  
       
      犬の訓練においても、人が操作することのできない行動に内在する賞罰や、行動に付随する賞罰の存在を 
      きちんと見定めなければなりません。  
      すなわち、犬の本能に起因する問題行動の多くは、行動自体に欲求を満たすという賞を内在しているのです。  
       
       
       
      私は、「罰」というのは「薬」に、非常によく似ていると思っています。  
      用途に応じた薬を、用法、用量を適切に使用すれば相当の効果があります。 
      しかし効果の反面、副作用のあるものもあれば、また誤った使い方をすれば毒にもなります。 
      また、薬には大衆薬のように比較的、安易に使っても問題のないものもあれば、 
      医師の処方のもとに使用する要指示薬、あるいは使用を厳密に定められている劇薬といった分類がありますが、 
      「罰」にもある意味で同じような分類ができます。  
      そして概ね、効果と弊害は比例します。  
       
       
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