「人と犬とは対等でなければなりません。」 
      「押し付けるのではなく、あなたがしてもらいたい行動を、犬が自ら望んで行なうように教えていきます。」 
      まさに平等主義者による心優しい、理想的な指導方法であるかのように思えます。 
       
      しかし実際には、普段は、門や塀あるいは扉や壁で行動範囲を制約した環境に監禁して、外出時には常に、 
      紐で繋いでいる。そのように犬から採食の自由を奪った上で、自身が独占している食糧の配給権をかざして、 
      犬の行動を操っていることの、どこが対等な関係なのでしょうか?  
       
      そもそもが、支配と言うと、とかく支配者による一方的な関係と思われがちです。  
      利益あるいは行動が対立した時に闘争によって決着をつけ、その後もその決着に基づき行動が固定されたとき、 
      地位を獲得したとみなされます。すなわち勝者は支配的地位を得たとされるのです。 
      いわゆるアルファーですが、ここで問題となるのは、支配は支配者によってなされたのかどうかです。 
       
      かのマルクスは、「支配するから王なのではなく、周囲が従うから王なのである」と述べています。  
      それによれば、「この人が王であるのは、ただ、他の人びとが彼に対して臣下として振る舞うからでしかない。 
      ところが彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。」ということです。 
      つまり、支配とは相互作用なのです。 支配が先か服従が先か、ニワトリと卵のような話でもあります。  |