させることを、なぜにそれほどにためらうのか、遠慮するのかわかりません。  
      させることは、いけないことなのでしょうか。  
       
      「させるのではなく、相手が自らするように」「相手の自主性を重んじる」などと言えば聞こえは良いですが、  
      単に、心のどこかに責任を負いたくない気持ちからなのではないのでしょうか。  
      たしかに、させる以上は、させた側にも何がしかの責任が及ぶのかも知れません。  
      でも犬に対しては、そんな心配は不要です。  
      なぜなら、犬が勝手にしようが、飼い主がさせようが、もともと全責任は飼い主が負うべきなのですから。  
       
      話が横道に逸れますが、最近よく耳にする、「させていただく」という言葉も、  
      本人は謙虚なつもりで使っているのでしょうが、私のようなへそ曲りには非常に不愉快な言い回しです。  
      言われるたびに「あなたに依頼した覚えもないし、私が許可したわけでもない」と思ってしまいます。  
      なぜ、素直に「します」と言えないのでしょうか。  
       
      そもそもは、相手に遂行能力があると思うから、すなわち相手の能力を認めるからこそさせるのです。  
      私の感覚から言えば、させることのできない人は、優しいのではなく、要は相手の能力を低く評価しているのか、 
      相手を信じていないのだとも言えるでしょう。 
       
      犬は人間の能力に従うと言いましたが、どのような能力をいうのでしょうか。  
      それは実行力です。まず本気になって犬に向き合うこと。そして、あなたの本気を伝える努力が必要です。  
      多くの人は、失敗した時の自分の体面を保つために、本気になって取り組まないのです。  
      「感情で怒ってはいけません」と、私も言います。理性的なことは良いことです。  
      でも、本気になって相手に取り組めば、感情的にもなるのが人間です。  
      なぜ多くの飼い主は、犬をきちんとしつけることができないのでしょうか?  
      それは、いくつもの思い違いをしているからにほかなりません。  
       
      ・犬にとって本当にかわいそうなことは何なのか     
      ・管理することをかわいそうと思うな     
      ・叱ることは絶対に必要  
      ・伸びる時期に伸ばせ、子犬の能力    
       
      人間ほど独り立ちに長期間を要する動物はいません。 
      子犬の発達は多くの人が思っているよりもずっと早いものです。  
      「させる」ことこそがすべてです。  
      させているうちに出来るようになり、出来るようになればやるようになるのです。 
       
      「させる」という言葉に、皆様がどの程度の強制的な印象を持つかはわかりません。  
      しかし、させないという事は、しなくてもよいという経験を積み重ねていくことである事を忘れてはなりません。 これは、あなた自身の指導力を失うのみならず、相手に既得権益を与え、後に不満の種になります。                  
       
      犬に何かをさせたい、あるいは、させたくないと思うのであれば、そして、犬にあなたのいう事をきくように 
      なってもらいたいと思うのであれば、あなたは犬に三つのことを教えなければなりません。  
      それは、「わかる(伝達)」「できる(能力)」「しよう(意思)」の三つです。  
       
      ①あなたのいう事が何であるのか、即ちあなたの要求が何であるのかを「わかる」ことが必要です。  
      ②次に、あなたの要求に応じた動作を行なう事が「できる」必要があります。  
      ③そして、あなたの要求に応えて「しよう」と思う気持ちが必要です。  
       
      ひとくちに「犬の訓練」といっても、この三つのどれを教えるのかによって「訓練方法」は違ってきます。  
      何かをさせるには、どういった方法があるでしょう。  
       
      させたい動作が、どのような動作であるのかを伝えなければなりません。  
      つまり、こちらの要求を相手に伝えることが必要です。人間同士であるならば言葉での指示が一般的です。  
      「わかっているのにしない」と表現する人が多くいます。 実際に犬がわかっているのにしない場合もありますが、 
      家人が「犬はわかっている」と思っているだけで、実際には犬はわかっていないがためにしない場合もあります。  
      まず家人が「犬はわかっている」と思った根拠を、きちんと検証してみる必要があります。  
       
      する気がないorしたくない : 意志の問題  
      その要求に対し、相手が応じる場合と応じない場合とがあります。  
      こちらがさせたいことと、相手のしたいことが一致していれば、すんなりと応じることでしょう。  
      それでは、応じない場合の理由は何でしょうか。  
       
      できない : 能力の問題  
      できない理由にも「方法がわからない場合」と「遂行能力が不足または欠如している場合」があります。  
      方法がわからないがゆえにできない場合には、それこそやってみせて、させてみて、といった指導が普通です。  
      遂行能力そのものが備わっていても、その他の理由で、できない場合もあります。  
      体調、あるいは、緊張や恐怖など周囲の状況に左右されることも多くあります。  
       
      指示をしても犬がしない場合に、多くの飼い主は、さらに言います。相手がするまで言い続けます。  
      すなわち、相手の自由な時間を、口うるさく干渉される時間に変えるのです。 
      これはまさに、相手を無意味にイラつかせる方法であるか、または、指示の重要度を0に近づける方法です。  
      なぜなら別の角度から見れば、言われてからするまでの時間というのは、指示に従わないことを容認されている時間であり、指示に従わないことを容認されている経験であるのです。
       
      すなわち、指示に従わないことが、犬にとっての既得権益と化してしまうのです。  
       
      私たちが人に何かを教える際には、まず説明し、それからやって見せて、させてみてといった手順が一般的です。ただしこれは、相手に学ぼうという意志があることが前提です。 
      学ぼうという意思のない者は、説明をしても聞かないし、やって見せても見ていないという結果になります。 
      つまり学ぶ意思の有る者に教える方法は、学ぶ意思の無い者に教える際に、そのままでは当てはまらないのです。  
       
      ちゃんとさせる、静かにさせる、じっとさせる、 即時にさせることができれば 
      有無を言わせぬ強引さや、断固たる拒否  
       
      「させる」にはどういった方法があるでしょうか。 
      一般的には、次の二つが用いられます。  
      ・しないことへの罰   結果に対して与える罰 
      ・罰を呈示しての強制  いわゆる見せ鞭    
       
      強制することができない人や好きでない人は、相手がするように仕向けることで、させる場合もあるでしょう。  
      ルアー方式 : 馬の鼻先に人参をぶら下げて走らせるのも一つです。  
              (しかし、いくら走っても、永久に届かないことに気が付けばしなくなってしまいます。) 
       
      行動心理学においては「何かをするように」教えるのが強化であり、「何かをしないように」教えるのが罰です。いや正確には、何かをする「頻度が増える」ように教えるのが強化で、「頻度が減る」ように教えるのが罰です。              
      何が違うのかといえば、頻度が増えるだけで確実にするようになるわけではありませんし、  
      頻度が減るだけでしなくなるわけではないという事です。  
      つまり、どうでもいい時には、よくいう事をきくけれど、肝心な時には、全然いう事をきかないということです。  
       
      私にしてみれば、それでは困るのではないかと思うのですが、愛犬家心理というのは面白いもので、  
      「今日は何々だから」「ここは何々だから」「あれは何々だから」といった具合に、 
      犬がしない理由を上手に見つけて犬の行動を正当化してあげますので、大した問題ではないようです。  
       
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