科学的なトレーニングであれば、個々の性格に基づく違いを含めた、個体による差は認めません。                個体差によって結果が異なるのでは、それは科学的トレーニングではありません。  
                     「個性」をはき違えしている人をよく見かけます。                自己とは、もともと唯一の存在、即ち、独自な存在なのです。 ことさらに、他者と違ったことをしたり、 わざと強調したり、目立つ事をしなくとも、 存在そのものが、十分、独創的で個性的なのです。  
                     「のびのびと育てないと、個性が失われる。」 それは事実である反面、摘んでも、摘んでも出てくる芽こそが、本当の個性であるともいえるのです。  どれほど型にはめて育てたところで、あるいは全く同じように育てたところで、                決して、どの犬もが同じになど育ちあがりません。  
       あちこちでマーキングをしながら歩く犬、通りすがる人に吠えかかる犬、平気で他人に跳びつく犬 、 そうした犬を連れていて、「犬の本能だから」「この子の個性ですから」という人がいます。                「ああそうですか、どうぞご自由に。でも街中には連れてこないで下さい。  もっとその子の本能や個性を存分に発揮できる場所にお連れになって下さい」と言いたくなります。 
                       非常に犬に寛容で、犬が何をしても「その子の個性だから」と言って犬をかばう人たちの多くに、               体罰を用いてしつける人に対して、非常に非難をする傾向がみられます。 
      なぜ人間に対しては「力で支配しようとするのも個性」「おこりんぼうなのも性格」「乱暴もその人の表現方法」 
      と見ようとしないのかが不思議でなりません。  
       まず、大切なのは、犬を愛することと同時に自分の犬をよく知ることです。  あたりまえのことですが、犬にはそれぞれの個性があります。                遺伝的に、持って生まれたものもあれば、生まれ育った環境において身に付けたものもあり、 それらの中には、好ましい面もあれば、不具合な面もあります。                人間でも、長所だけの人や、短所だけの人などいません。  
       
      選べる段階でしたら、つまりこれから飼う犬を決める段階でしたら少しでも良い犬をという話をするのですが、 
      すでにもう犬をお飼いになった以上、良い面も悪い面も併せてその犬の個性を認めてあげるべきでしょう。  ここで勘違いをされる方が多いのですが、「認める」ということは、「認識する」ということであって、                「容認する」ということではありません。                客観的に欠点を正しく認識した上で、その犬の性格を十分に考慮してこそ「教え、育てる」ことができるのです。  
       
      とはいっても初めて犬をお飼いになる方にとっては、愛犬の性格を正しく把握するなどというのは雲をつかむような話で、 
      それどころか、犬のすることなすこと全てが普通なのか、異常なのかさえもがわからないのではないでしょうか。 |