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      「自主的にやるように」という指導は、指導を受けた時点で自主的ではないのですから、論理が破綻しています。まずは、「自主的にやりなさい」「自発的にさせる」という言葉に 内包される矛盾に気が付くとともに、 
      「行動を操作する」=「支配」であることをまず認識すべきです。  
      そもそも、自発的するようにという発想そのものが、自分は黒幕となってという意識から生まれるのでしょう。 
      本人相手には「好きにしていいよ」と言いつつ裏で糸を引くような、なんとも卑劣な気がしてならないのです。 
      自分は悪者に思われようとも、やれと言うことが、なぜできないのでしょうか。  
       
      誰もが、痛い目や怖い目、嫌な目にあいながら、学んでいくのです。 それが生きるということです。  
      それなのに、嫌悪刺激や負の体験の一切を排除することは、命のみを保護し、自らが生きることを奪う、 即ち、 
      生ある者への冒涜とさえ言えるでしょう。 これほど自然の摂理に反した、不自然なことはないかもしれません。 
       
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