そもそも、しつけとは何かをきちんと理解しないままに話を進めると、なにかと誤解を生むことがありますので、 
      ここで、しっかりとしつけについて考えてみてください。  
       
      犬は、自身の毎日の生活(環境)の中で、 
      多くの経験を重ねていく過程で行なった行動と、その行動の結果としてその環境から受けた効果によって、 
      それが「快」をもたらした場合には、その行動を繰り返しやすくなり、 
      逆に「不快」をもたらした場合、その行動をとる傾向を減少させるなどと行動を変化させます。 
      これが心理学でいう「学習」です。 
       
      いわゆる「しつけ」「訓練」といわれるものは、行動心理学で言うところの「学習」の中の一型式にすぎません。 つまりは、人間が目的を持って意図的に、号令(条件)に対し、行動(反応)をおこさせる(条件づける)事が、 
      しつけや訓練と呼ばれるものです。 
       
      犬と暮し始めた方が「愛犬の訓練を・・・」と考え始める時、多くの人は「しつけ」を求めているのが現実です。具体的に言うならば、「跳び付かない様に」「吠えない様に」、あるいは「家具を噛らない様に」などです。 
       
        
      正確な表現ではありませんが、一般の方が考えるところにおいて『訓練』と称される分野は、高揚。 
      すなわち、生来もつ特定の能力を、人間の役に立つように、ひきだし、高めること。 
      つまり「勉強」的な要素が多く「何かをする様に教える」といった色合いが強いようです。 
      具体的には、「服従訓練」「防衛訓練」「嗅覚訓練」などがあります。  
       
        
      それに対し『しつけ』と称される分野は抑制。すなわち、人間にとって不都合な本能や習性を押さえること。 
      つまりは行儀・作法的な事柄を教え込む、または「何かをしない様に教える」という場合が多く見受けられます。 
       
      言うまでもなく、前者の場合は命令したその一時だけの事ですが、後者の場合は四六時中のことですから、 
      教えるとなったら、数倍の時間と労を要するのです。 にもかかわらず、「訓練は大変、しつけは簡単」だとか 
      「訓練までは必要ないけど、しつけ程度は」といった感覚の人が多いのです。  
       
      しつけで犬に教える動作というのは、日常的にどの犬でもできる事柄であり、特段の能力や高度な技能などを 
      必要とされません。それもあって、訓練は高度なもので、しつけは初歩のものとお感じの方が多いようです。  
      しかしながら、しつけは初歩、訓練は高度というのは、教える事柄の話であって、教える事柄は簡単であっても、 
      教え方は、そうは簡単ではありません。  
       
      同じに「教える」と言っても、「何かをするように」教えることと、「何かをしないように」教えることとでは、 
      その本質が全くと言ってよいほどに異なります。 それなのに、それらを区別せずに語られるがゆえに、 
      様々な誤解が生まれています。一般的には、「訓練」は「何かをするように教えること」を、 
      「しつけ」は「何かをしないように教えること」といった場合が多いようです。 
      ただし同じ事柄を教える場合でも、表現の仕方を変えれば、「するように」にも「しないように」にもなります。 
      「じっとしているように」を「動かないように」とか、「横に付くように」を「引っ張らないように」などです。  
      礼儀や作法といった「何かをするように」を教えることによって、しつけがなされるといったこともあります。 
       
      生活ル−ルを教えることを「しつけ」、「科目」を教えることを「訓練」と分けて話しを進めていきます。 
      服従訓練の基本的な科目については、当然にしつけの中で、ごく自然に入り込んできます。  
      いわゆる初歩訓練というものは、犬に「人の号令に合わせた行動をすること」を教え込むことによって、 
      しつけを施しやすくするためのものに過ぎません。 
       
        
      最近では、ドッグトレーニング・トイレトレーニング・パピートレーニングなど、 
      以前は「しつけ」や「訓練」と言われていたものが、横文字で言われることが多くなりました。 
      体力増強のためのトレーニングといったように、一般的に「トレーニング」とは、特定の「能力の向上」や 
      「技能の修得」を目的とした鍛錬や練習をいいます。  
      それに対して、しつけは、社会における秩序の維持と他者との協調を目的として行なわれるものです。 
      訓練を、トレーニングと言い換えることには何の違和感もありません。 
      しかし、しつけをトレーニングと言われると、なんとも言い得ぬ抵抗を感じます。  
      そもそも、しつけとは、行儀や作法の修得や社会の規範を身に付けさせることをいいます。 
      その者が属する社会の善悪を教えることがしつけの本髄であり、動作を教えるのはそのための所作に過ぎません。 
      つまり水族館のイルカを例に述べれば、イルカに人間社会に属した生活をさせるわけではありませんので、イルカに教えることを訓練・調教とは言っても、しつけとは言いません。 
       
      しつけの本髄は、「世の中には、従わなければならない権威が存在する事」を教えることにあるといわれます。 
      権威とは、親であったり、規則であったりします。 
      「しつける」は、ランダムハウスの辞書では、次のように記されています。 
      「訓練とコントロールにより、従順と秩序ある状態をもたらす」「罰すること、矯正、体罰を与えること」 
       
      柳田国男氏によれば、しつけの法則は、当たり前のことは少しも教えずに、当たり前でないことを行なつたときに戒めるもので、つまり、しつけとは、教えるというよりも、まず実際に行わせてみて、その欠点を矯正するという方法で一人前にすることを意味したのだそうです。 
       
      私の手持ちの国語辞典によると、次のように書かれています。       
       しつけ:【仕付・躾】      
       ・日常生活での行儀作法や生活慣習の型を身につけさせること      
       ・性質をたわめ直しつつ一人前に育てること      
       ・人並みの人物や物として一定の型を身につけること (着物の型くずれを防ぐためのシツケ糸など)  
       
       教育:  教えて、覚えさせる(しつける)こと                  
       勉強:  能力や知識を得るために、心をはげまして習ったり、学問をしたりすること  
       練習: 特定の作業の上達を目ざして行動が繰り返されること  
       訓練: あることを教え、継続的に練習させ、体得させること。  
       習慣: 学習された行動が安定し持続する場合  
       学習: 知識の習得      
           経験を重ねることによって行動が比較的持続的に変化し、安定し、 
           その後の行動に効果をもつようになること(心理学用語)  
       
        
       
      犬の自由意志による行動を認めることが愛情で、それこそが個性を尊重した、のびのびとした育て方なのであり、 
      逆に、犬に人間の意思で何かをさせる事は管理主義で、それは強制であり、虐待だと考える人もいます。  
      しかしながら「犬の自らの意思」というのが本能のままにということであって、 
      あなたが、犬を本能のみに基づいて育ててあげたいと願うのであれば、隣近所のいない山奥に引っ越すべきです。 
      たしかに「飼う」ということ自体が人間の奢りなのかも知れませんが、逆にいえば、人間が飼う以上は、 
      人間社会の規則を教えなければなりません。  
       
        
       
      そもそも規則とは、「全体として捉えた時に、自由が最大限に生かされるためのもの」なのですから、 
      「個々に見れば、時に自由を制約されること」もあります。  
      ただしそれは、「他人の自由を脅かすほどの自由は、万人に認められない」ということにすぎません。 
      もしもそれさえ嫌だと否定するのであれば、「弱肉強食」つまり、力の強い者が全てを制する集団になるのです。 
      規則があるからこそ、我々は、安心して歩くこともできるし、自動車を走らせることもできるのです。 
      また、様々なスポーツを楽しむことができるのです。 |